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山中伸弥 うつ病 経歴 家族・・・ [山中伸弥]

山中伸弥 うつ病 経歴 家族の記事です

山中伸弥 うつ病 経歴 家族・・・
経歴とは?うつ病とは?


日本の医学者であり、数多の経験を活かして
iPS細胞というものを開発。
全ての努力が報われノーベル賞を授与されるまでに
至った山中伸弥さんですが、一時期は半分うつ病のように
なっていたこともあり、ここに来るまでの道のりは
長く険しいものだった。


≫≫≫山中伸弥教授も知らないノーベル賞の裏事情



山中伸弥さんの経歴とは?
山中伸弥さんは学生時代から非常に優秀な方でです。
高校の時などは柔道部に所属するバリバリの体育会系。
秀でているのは運動だけではなく、テストでも必ず
クラス内で1,2を争う成績をおさめていたようです。


人柄も良く、ユーモラスな性格で冗談をよく口にする性格。
今でも片鱗が残っており、公演の初めに掴みで
笑いを取りにいくことがしばしば。


順調に進学を続け、神戸大学を卒業した山中伸弥さん。
その後は国立大阪病院の整形外科で、臨床研修医として
勤務する道を選んだということ。
整形外科を選んだ理由は学生時代に柔道やラグビーの練習で
10回以上も骨折した経験があるから。
確かに、分かるような分からないような・・・。


しかし、ここで山中伸弥さんは一度苦渋を味わう。


緊張していたのか具合が悪かったのかは分かりませんが、
山中伸弥さんは通常20分程度で終わるはずの手術に、
2時間もの時を費やしてた。


一応成功はしているのでそこまではよかったんですが、
他にも点滴を失敗したり、ちょっとした失敗の連続続き。
次第に周囲の評価も悪化していき、指導医からは
アダ名までつけられるハメに。

『お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなか」や』

決して良い気持ちではなかったでしょう。
この一見から、山中伸弥さんは外科医は「向いていない」と
痛感したみたい。
それと同時に、重症患者の容態を見る毎に、そういった人たちを
救う研究を目指す研究者への転向も考えるようになった。


iPS細胞の研究・開発とうつ病とは?

病院を退職後、山中伸弥さんは大阪市立大学大学院に
入学した。どれだけ多く研究できるかを常に考えながら
研究に没頭し、ハードワークで自分の右に出るものはいない
自信があったみたい。


『vision(仮説)&hard work(地道な努力)』という座右の銘に

もそれが現れていますね。


その後は博士研究員としてアメリカに留学。
トーマス・イネラリティ教授のもと、ついにiPS細胞の研究が
始まった。そこである程度研究を重ね、帰国。
日本学術振興会特別研究員と呼ばれる称号を得て、
大阪市立大学薬理学教室助手に就任。


しかし、ここでも再び山中伸弥さんはあるものに
苦しめられることに。

それは、アメリカと日本における研究環境の落差。


山中伸弥さんは実験で主にマウスを利用しており、
アメリカの場合マウスを管理する人間がいたわけ。
しかし、日本には管理者が存在しないため、
山中伸弥さんが自身で管理しなければならなかったようです。


マウスの管理に時間を割かれ、思うように研究ができない
日々が続く。その上、結果主義というかスピード厳守?の
日本の現場では山中伸弥さんの研究はあまり受け入れられず、
ここでも「やまちゅう」と不名誉なアダ名をつけられている。


それらのことから山中伸弥さんはうつ病に近い状態にま
で陥ることになります。

偉大な業績の成功の裏には、こんな辛い努力の日々が、
あるということ。山中伸弥さんはここから成功まで達することが
できましたが、日本の環境にはちょっと問題を感じる・・・。


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